俺の思いは絵になれない 商業誌
にわか雨が続く六月の末。
まだまだ季節は暗く淀んだ梅雨の最中。
分厚い雲をすり抜けてきた日差しを浴びて、俺は大きなショッピングモールの中に入った。
雨宿りに逃げてきたのか、はたまた単純に買い物に来ていたのかは分からないが多くの人々で埋め尽くされていた。ため息をつく。人混みは苦手だ。ひきこもりには更にキツい。
さっさと買い物を済ませてしまおう。
目的の店はたしか三階。
カチリ。小気味よい音を立てたボタンと共に奴が降りてくるのを待つ。
そそくさと乗り込むと小さなエレベーターの窓から下を見下ろす。無数の車が道路を忙しなく駆け回り、傘の花が咲いている。
みんな、何を必死に歩いているんだろうか。俺は買い物に出るだけでもしんどいってのに。
そんな自分にウンザリし、静かにイヤホンの音量を上げた。
エレベーターを降りて暫く歩いた所にそれはあった。
「ほにゃらら書店」。新書の匂いを周囲に漂わせて静かに佇んでいる巨大蔵書庫。
入ろうとして少し躊躇う。なんだか誰かに見られている気がした。お前みたいな奴が本屋に?馬鹿は本を読んでも無駄ですよ〜。
そんな風に見られているような気がした。イヤホンの音量を上げる。
暫く店の前の椅子に座って頭を抱えていた。大丈夫。誰も俺なんか見ていない、気にも留めていない。ようやく立ち上がる。万引き防止のゲートに反応したイヤホンから甲高い音が聞こえて不快だった。
店内にはいろんな人がいた。高校生、ご老人、くたびれたサラリーマン、面倒くさそうなバイト店員……そして病気じみた俺。素晴らしいメンバーだ。
俯きながら目的のコーナーへ急ぐ。途中、高校生に怪訝な目で見られた気がしたが無視した。イヤホンの音量を上げる。
奥まった場所にそれはあった。店の一番角の棚にぽつんと組まれたコーナー。
ド派手なピンク色の背表紙たちが俺を迎え入れる。
そう、今日はいつも読んでいる商業BLの新刊が発売される日。学生時代から推している漫画でどうしても発売当日に買いたかった。
それなりに人気な作品なので平置きで沢山積まれているそれの一番上を手に取る。表紙は既にSNSで拝見していたがやはり実物はひと味もふた味も違うな。マスクの下でにちゃにちゃと気持ち悪い笑みを浮かべたが、その異常性にすぐ気づき深く帽子を被り直した。
それにしても良いな。早くこのビニールを破いて漫画を読みたい。居ても立ってもいられなくなりレジに向かう。
それなりにBL漫画は持っているが、やはりレジは慣れない。俺は男だから尚更人の目を気にしてしまう。しかしこれも推しの為!覚悟を決めて差し出した。
「らっしゃっせ〜。お預かりしま〜す。」
バンドマン風の店員さん。なんでそんなに気怠そうなのか聞いてみたい。
束の間の沈黙に困りキョロキョロと視線を泳がせる。帽子がなければ完全に不審者だ。いや、帽子とマスクの時点で十分不審者か。
そのとき、ふと店員さんの名札に目がいった。変わった苗字。そして聞いたことがある。その瞬間高校のときの記憶が全て襲いかかってきた。
関わりこそ無かったが、彼は高校の同級生だった。こんなところでバイトしてるなんて、しかもよりにもよってこんな漫画のレジ打ちをしてもらうだなんて!
向こうが俺を覚えているかなんて知らない。ただ顔を見られたら終わりな気がして俯いた。
彼はとっくにお会計待ちの姿勢だ。
だらだら冷や汗をかく。呼吸が浅くなってただでさえ狭い視界が暗くなっていく。
そこで俺の意識は途絶えた。
……気がついた時には、俺はモールの喫煙所にいた。
手には百均のライターと乱雑に開けられたタバコ。俺は喫煙者ではない。なのになぜ。吸いかけていた煙が肺に入り思いきり咽る。
わけがわからないままタバコの箱をカバンに突っ込もうとしたとき、中でカサリと何か触れた。それを見る。
ほにゃらら書店の紙袋だった。中には欲しかったBL漫画がちゃんと入っている。
「あれ……俺、会計できたのか?」
どうも思い出せないが喫煙所を後にする。しかしすぐ、その答え合わせは俺の狭い六畳半で行われることになった。
家に帰って家族の誰とも顔を合わせないように急いで部屋に戻った。カチャリ。鍵を閉める。
カバンから漫画を取り出してビニールを破いた。ベッドに横たわり漫画タイムと洒落込もうか、そう思ったとき。
ピピピ。アラームが鳴った。
「なんだよ……こんなときに……」
悪態をつきながらスマホを見る。そこには「今日は小説を書く日だぞ!」というメモ。そうだった。
自分で決めた創作スケジュール。実践し始めてからまだ二週間だが一応サボらず続けている。
ここで折れたら、今までの苦労が水の泡になってしまうがずっと読みたかった漫画だ、それが手元にあるという誘惑が強すぎる。
しかし、せめて何か続ける努力はしないと……。
「……今日ぐらいはいいんじゃねえか?」
タバコの匂いと共に低く嘲笑うような声。
俺は漫画をベッドに置いて一呼吸置いてから目を開けた。
「……ああ、やっぱりお前が代わりに漫画を買ってくれたのか。」
「だってつらそうだったからよ。ずっと欲しかった漫画が買えなかったら可哀想だと思ってな。お前の願いを叶えてやったってわけさ。」
「だから……俺の意識を乗っ取って?」
「そう、それが俺の役割だからな。」
あはは、と笑ってタバコを吸う彼。机に腰掛けて長い足を持て余している。もくもく煙が充満して目の前が見えなくなる。
「……買ってくれたのは嬉しいよ。ありがとう。」
「おう。読まねえのか?」
「……。」
「……何黙ってんだ?読みたかったんだろ、読めよ。」
「……いや、創作しないと。」
「創作ぅ?」
彼は目を丸くした後にやりと口角を上げ、そして大笑いした。
「創作ってお前!そんなのいつでも出来るだろ!」
「……そうだけど。」
「お前には時間いっぱいあるじゃねえか。今すぐやる必要がどこにある?仕事じゃねえんだしよ。」
金色の毛先が揺れ、細めた目で射抜かれた。
「別に読んでからやっても遅くはねえだろ。楽しみは置いておくと逃げちまうんだぜ?」
「……。」
目線を落とす。ポップな表紙が見える。
これを買うために俺は今日一日いろんな思いをしたんだよな、だったら読む権利くらいあるはず——
彼は笑ってタバコの火を消した。
俺はスマホを裏返しにして電源を切ると、ぺらりと一頁目を捲ってしまった。
「面白いか?」
「……うん、とっても。」
「そうか。なら、」
「ずっとそうしていたらいいんじゃねえか?」




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