俺の思いは絵になれない 『無意味』

延々と雨降り注ぐ梅雨の瀬。
黒黒と濡れた地面が街灯の光を反射し窓の内から見つめる俺を蔑んでいるようだった。
徐ろにカーテンを閉める。どこかで車が水たまりを踏む音がした。
もうすぐ夏が来る。
忌々しく輝く太陽の下で、御天道様よりも忌々しく記憶を焼き付けられるあの夏が。はあ、とため息をついた。
きっとみんなは大忙しだ。仕事、恋愛、それから——
「好きなこと……ねえ……」
ぽつりと誰にも届かない呟きを落とす。
デスクトップパソコンの電源を押し、駆動音に思いを巡らす。チカチカと青白く点滅しているLEDが俺を嘲笑している気がして目を伏せた。
画面が一度真っ白になり、かと思えば暗くなって暫くするといつものロック画面が表示された。
大昔に描いた、オリジナルキャラクターのイラスト。学ランを着た焼けた肌の少年が夕暮れの中笑っている。
大して目もくれずにパスワードを入力する。タイピングミスで何回かやり直す羽目になったのはもはや恒例だった。
ようやくキャラの誕生日を入力し、エンターを押す。
無数のファイル、ゲーム、そしてSNSのアイコンがまるで岩の裏に沢山住んでいる虫のように現れる。
俺はその中の一つ、作りかけの創作のタイトルが付けられたファイルをダブルクリックする。中には数え切れない程のキャラクター設定が書かれたtextファイルと、その彼らが住んでいるであろう小説が、作りかけの世界が数十個入っている。
俺は何をする訳でもなく、それをただ眺めていた。
この夏、俺はこの作品を完成させなければならない。
誰に決められた訳でもない。どこかに見せびらかす為に作る訳でもない。
ただ俺の中にいる焦りと不安が、かつて大好きだったこの世界を酷く恐ろしい「俺を責め立てる世界」に成り代わっていたのだ。
きっとこの夏、俺はみんなよりも随分と暇な日常を送ることになるだろう。
仕事も学校も何もない、社会の片隅で無意味を貪っているだけの大人未満が唯一出来ること——それが「好きなこと」だった。
俺の名前は夢先ゆめさき。
ただの社会不適合者であり少々妄想癖の過ぎた、底辺創作者である。
結局その日はキャラクター設定のtextファイルをクリックしては閉じてを繰り返していつの間にか深夜になっていた。
自分が生み出した(他者に見せないならそれは生み出したと言えるのか定かではないが)ものを只管良いなあ良いなあと眺めているばかりで、俺をカーテン越しに監視するあの大きな月も呆れていることだろう。
はあ、と大きなため息をついてファイルを消した。
「……駄目だ。何も思い浮かばない……。」
そもそも俺がキャラクターファイルを見ていたのには訳があった。
キャラクターが多いとそれだけ設定の濃度に斑が出る。過去、性格、容姿、喋り方、エトセトラ……。平等にキャラクターを見ているつもりでも、それでも差は出てしまうものだ。
まだ未完である(未完の定義はそうだな、設定が少ないということにしよう)キャラクターのファイルを適当にクリックする。
ゴシック体のフォントがぼんやり浮かび上がり、俺の中の「彼ら」をピクセルとしてまたまたぼんやり構成していく。
「彼ら」は名前、ザックリとした性格、そして三行で簡単に書かれた過去を俺に教えてくれる。
そうそう、こんなキャラクターだったなあ。とか呑気に見ていると、他のキャラはどうだったっけ?と別のキャラクターに声をかける。
そんなことを繰り返していたらすっかり夜は更けてしまっていた。
大急ぎで「彼ら」の人生を紡ごうと脳みそに全意識を集中させる。昔読んだ漫画やアニメ、映画の記憶を総動員してそれらを上手く練り合わせて「彼ら」の人格を作り上げようと試みる。
結果は、惨敗だった。
どう頑張っても、どう思いを巡らせても、そうする度に「彼ら」は俺の元から離れていってしまう。
どうして。己の妄想力の乏しさに絶望する。
仕方がないのでファイルを閉じ、岩の裏の虫たちを眺める。
「……十分だけ。」
自分に言い聞かせるように呟いて、カーソルをゲームのアイコンにスライドさせた。
カチカチ。無意味なクリック音。
ただ呆然とゲームが与えてくれる情報に思考を停止させた。
スマホを見る。二十分しか経っていない。
まだ、まだ現実を見なくていい……。
SNSを見る。一時間など許容範囲だろう。
それから何時間そうしていたか分からない。カーテンのすき間から橙色の光が差し込んできた時、ようやく我に返った。空はすっかり晴れ渡り、雨上がりの静寂が街を包んでいた。
結局、今日も何も出来ずに終わってしまった。無意味な一日を過ごしてしまった。その事実が、俺の心を落ち着かないものにさせる。
「これだからいつまでも完成しない創作だって馬鹿にされんだよな……。」
事実、そうではあったのだが。
いてもたってもいられなくなり、「彼ら」に向き合わなかった口実を作るために自分の精神を痛めつける。
そうだ、今日は調子が悪かったんだ。
きっと明日なら書けるはず。
俺は悪くない。
どうせ誰も見ない創作なんだから。
大丈夫、大丈夫、大丈夫……
「……ねえ、いつまでそうやって言い訳するの?」
その声は朝焼けのように眩しく、そして夕暮れのように静かだった。
俺は後ろを振り返る。
そこには少年が窓枠に座って外を見つめていた。
前開きの学ランと少し焼けた肌。俺はその少年を知っている。
少年はこちらには目もくれずカーテンをめくり窓を開ける。彼の髪が朝日でキラキラと光り、ふわりと風で靡く姿は「イラスト」そのものだった。
「……「彼ら」も可哀想だよね。ずっと自分が定まらないまま、永遠に放置され続ける。」
少年はにこりと笑った。その無邪気な笑顔が好きだったが、今は貼り付けているようにしか見えない。「イラスト」でしか見せない殺意を、まるで俺に向けているかのようでゾクリと背中が粟立った。
「……俺だって、放置したい訳じゃない。完成させてあげたいし、その後だって。」
少年は小首を傾げた。
「あはは、嘘だね。僕は知ってるよ、君が「彼ら」を……いや、「僕ら」を完成させられない理由。病気のせいなんかじゃない、たまたま調子が悪かった訳でもない。」
少年は微笑みながら俺に近づいてくる。
そして俺の前でピタリと止まると、その顔を俺の耳元に寄せて囁いた。
彼の口から、聞きたくなかった。
「……君は、「僕ら」のことが好きじゃないんだよ。何かを作っている風の自分が好きなだけ。真に愛してくれていないんでしょ?」
「……ね?黙っちゃった、あはは。」
少年は小首を傾げて無邪気に笑った。
俺は何も言えなかった。
そうだ、完成させられないのは何のせいでもない。
己のせいなのだ。
「なら、「僕ら」なんて要らないよね?消しちゃえばいいんだよ。長押ししてゴミ箱にポイするだけ。それだけで君は楽になれる。」
「君が「僕ら」へ感じてる申し訳なさ?とやらもぜーんぶなくなるんだよ!すごいよね、あはははは!」
少年は右手首を掻いた。浅い、赤い線。全部俺がつけた傷だ。
「そんなの……出来るわけないだろ。」
「なんで?」
「お前らは俺が作ったんだぞ!なのに……簡単に消せるかよ……。」
「じゃあなんで作ってくれないの?」
「……」
再び沈黙。
外からカラスの声が聞こえてきた。彼の好きな鳥。
少年は窓の外を見つめながら言った。
「君さあ……勘違いしてるよね?神様にでもなったつもりなの?君を生かしてあげてるのは紛れもない「僕ら」だって言うのにさ。」
カチカチ。少年の手元から軽い音が聞こえた。長押しして、ポイ。その正体の察しがついた。
「やめろよっ……!!」
「あはは、僕が手伝ってあげてるのに怒っちゃうんだ?君を楽にしてあげたいだけなのになぁ。」
その目は笑っていなかった。
「ダメだ……俺が見放したら……誰がお前らを作るっていうんだよ……!!」
「誰も作らないよ。だーれも。形にすらなってない「僕ら」に、誰が興味あるっていうの。」
少年はにっこり笑った。どんなイラストでも描いたことのない、純粋無垢な笑み。
「……僕を作れるのは君だけなんだよ。どんなに歪でも、どんなに不格好でも、そして無意味でも、「僕ら」は君にしか作れない。だから……」
「……逃さないよ。言い訳の先で、待ってるから。」
カラスが大きく鳴いた。
激しい風が部屋に入ると共に、彼は消えた。
「……逃れるものか。」
俺はその場にへたり込んだ。
動悸が止まらない。脂汗もかいている。
あんな目をされたら、怖くて逃げられやしないよ。



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